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神様に遭遇

と、いうわけで、思い出話ばかりが続いてしまいますが、19歳の私はマジックキャッスルであの島田晴夫氏に会う幸運に巡り合えたわけです。

島田晴夫氏をご存知無い方へ、どのくらい凄い人かということを説明するなら、17歳でプロデビューし、私が生まれたころの1958年だったと思いますが、当時のテンヨーマジックフェスティバルで「神技」と伝説に語られたビリヤードボールの芸(指の間に玉が現れたり消えたりし、最後は両指の間に8つのビリヤードボールが揃うというスライハンドマジックの極み)で一躍有名になった天才マジシャンです。

その後25歳にしてオーストラリアに渡り、30歳を超えてからアメリカに活躍の場を移し、なんとラスベガスで「Haruo Shimada」のショーを持っていたのですから、ショービジネスの頂点を極めたと言っていいでしょう。
私が出会ったのは1976年で、すでにアメリカのマジック界での地位を確立されていました。

状況としては、奥様のディアナさんと島田氏が並んで座った周りを、かの日系男優夫妻とその友人と私がバーのテーブルを囲み談笑しているという状況で、同氏の横に座った自分だけが日本語で会話をしていました。島田氏は、日本のショービジネス界から見ればいわば頭脳流出ともいえる立場で、日本にはもはや活躍の場を見出せない環境で渡豪、渡米したのだと思います。
音楽も好きな自分としては、ジャズ界の日野皓正、秋吉トシコに通じるものを感じます。

話題は日本の芸能界、というよりショービジネス後進国を嘆く話。歌が下手でも歌手になれる日本の現実。NHKから出演依頼があったが、話を聞くと「昼のプレゼント」で僅か20~30分枠という呆れた話で、Shimadaを表現するための1週間通しの企画なら全国放送だしノーギャラでも検討する価値があるが・・・、という逸話。

海外における独創性の大切さ。傘のマスプロダクション、ドラゴンのイリュージョンは日本にいたら出来ない発想だった、という話。

そして、米国の観客のリアクションについて語られた下りが今でも思い出されます。「アメリカ人はね、嬉しい、楽しい、を素直に表現する。ツマラナイ、悲しい、なら正直にその逆。日本でね、電車のドアが閉まる前に駆け込んで来た客がギリギリで間に合った。背中でドアが閉まる。日本人の反応どう?なんだ、コイツ焦りやがって、迷惑だ、じゃない? アメリカ人、おおっよかったね。あんたラッキーだねぇ、と。逆に目の前でドアが閉まる。アメリカ人、ああっ残念だったねぇっとガラス越しに表情を表してくれる。」
まさに、自分のマジックに対する反応と同じことを語っていらした偶然に驚きました。

酒のテーブルを離れて、島田氏の後を金魚の糞のようにくっついてマジックキャッスルを徘徊。島田氏はカウンターに座って隣にいた女性に煙草のマジックを披露。
ステージマジックの神様は、クロースアップマジックでも神様。火のついた煙草を客の目の前で、消して、出現させて、を繰り返し、煙草が短くなってきたらタンギング(火のついた煙草を口に隠してしまう技)を絡めての消失と出現。まわりの人たち(一般人)はもうヤンヤヤンヤの大喝采。マジックを演じる楽しさを体感したひと時でした。

同時に日本のマジックは観客の質というか、メンタリティーというか、楽しむという面で欧米の様にはならないのかなぁ、と少々挫折感を感じたひと時でもありました。
今日は長文にお付き合い頂きありがとうございますです。

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