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楽に演じられるのが一番なんですよね

さてさて、先日の日記でブリッジサイズの使用をお勧めましたけど、道具の「あるべき」にこだわらないのと同じ理屈で、スライハンドの技術にもこだわらない方がいいという自論。

僕がこの考えを持つようになったのは、こんな話を聞いたからです。

日本で3歳からずーっとピアノを習っていて、中学生の時に親の仕事の関係でアメリカで生活することになった。

ピアノは好きなのでアメリカでも個人レッスンを受けたんだけど、その先生は「自分を表現するためなら多少譜面と違うことやってもいい」と教えた。

例えば10和音が速いフレーズで続く時なんか、「あなたね、ここの所、一個音抜いてごらんなさい。凄く動きが楽でしょ。

この一音抜いてもあまり変わらないから。譜面に忠実なことが大切なんじゃなくて、アナタがノビノビと演奏できることが大事なのよ」と・・・・。

で、生徒の彼女うれしくなっちゃって、そういう姿勢で練習し、自分を表現するピアノを上達させたそうな。

ピアノとマジックでは「お作法」の面で大分違うんだろうけど、僕が言いたいのは、スライハンドマジックを修得しようとするとき、固定概念を一旦捨てたほうがいいかな、ということ。

人は夫々、手の大きさも、指の長さも、柔らかさも、違うわけで、ひとつの技術論でスライハンドが修得できるとは思えないのです。いわゆる「オレ流」を探すことが練習のポイントであって、決して本の通り、ビデオの通りに手指が動かなくてもいいと思うんです。

今は昔の手指の動きを取り戻すためにリハビリの日々ですが、スライハンド修得の過程で得た「ツボ」「コツ」のようなものをいつか体系化したいと思っておりますです。

後日談ですが、ピアノの彼女、帰国してピアノレッスン受けたら、日本人の先生に、「あんた、なんて手抜きしてるのっ! 譜面はそうじゃないでしょっ!」とコッピドク怒られる日々が続き、いっぺんでピアノ演奏が嫌になってしまったそうです。

・・・うー・・厳し過ぎるよニッポン・・・

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